優勝候補のドイツに対して「奇跡」と呼ばれる逆転を果たした森保ジャパン。海外メディアでは決定打となった浅野拓磨があげた2得点目について「あの得点は攻撃として見ると大したプレイではなく、ディフェンス側のイージーミス」という声も多く見られたが、それは見当違いな指摘だと確信を込めて語る記者がいる。
4年前、浅野がつかみかけていた夢が寸前のところで逃げていった。浅野は2018年ワールドカップ出場に大きく貢献しながらも、ロシアでその舞台に立つことは許されなかった。その4年後、彼はカタールの地でドイツ撃破の大金星を挙げてみせた。この4年間、そこへとたどり着くために浅野は何を考え、何と向き合ってきたのか。親交を深めてきた島崎英純が迫る──。
浅野が心に決めていたこと
ドイツの空の下で、日本代表とドイツ代表の試合を観ていた。前半にイルカイ・ギュンドアンのPKで先制された日本は後半に入り、森保一監督の斬新なシステム変更と攻撃的な選手の相次ぐ途中投入で息を吹き返し、堂安律のゴールで同点に追いついていた。
浅野拓磨のプレーを目で追っていた。彼らしく縦へ仕掛け、味方からボールを受けると躊躇なくシュートを打ち込む。その目は一途で、険しい表情を崩さない。そういえば4年前に、彼はこんなことを言っていた。
2022年11月23日にカタールのドーハで、ドイツ対日本戦で2点目を狙うシュートを放つ浅野拓磨(Photo by Evrim Aydin/Anadolu Agency via Getty Images)
「僕、試合中によく、笑っていることがあるんです。それは小さな頃の写真を見てもそう。普通は試合中に笑うことなんてないじゃないですか。『俺、なんで笑ってるんやろ』って自分でも思う。でも無意識なんですよ。『うわー、やっちゃった』とか、『俺、下手くそやなー』と思って、その上で、『やっぱり、サッカーって面白いな』という笑いなのかな。
でもね、僕、学んだんです。日本中の方が見ているゲームでミスをしたときに笑っちゃ駄目だなって。いろいろな見方をする方がいる。選手が頑張っている姿に勇気をもらいたい人、単に勝負に勝ってもらいたい人、夢を追いかけるために見る人、いろいろな事情、見方があるんですよね。だから今は、ミスしてしまったときに、『あかん、笑うな』って頭の中で考えている。今後はミスしたときに笑わないと思います」
簡単な道のりではなかった。辛苦を重ねて逞しい選手へと成長した姿には、過ぎ去った約4年半の日々が重なっている。
「悔しさを溜めて、溜めて、その思いを次のチャンスに生かす」
2016年8月、所属元のアーセナル(イングランド)から当時ドイツ・ブンデスリーガ2部だったシュツットガルトへ期限付き移籍した浅野は、異なる文化や言語、行動様式の中でも果敢に挑戦していた。ドイツ語がおぼつかなくても身振り手振りでチームメイトらとコミュニケーションを取り、試合のみならず、日々のトレーニングでも一切手を抜かずに自身のストロングポイントを標榜していた。
この時期に初めて彼を取材した筆者は、温厚そうに見えるその佇まいの裏に激しい闘争心を兼ね備えていることを知った。チャレンジ意識が強いがゆえにミスが多かった当時の浅野は、こんな思いを抱いて日々のゲームに臨んでいたという。
「僕は自分がミスしたり、ゴールを逃したりしたシーンを絶対に忘れない。それで、いつか必ず、この悔しさを晴らすと心に決めている。悔しさを溜めて、溜めて、その思いを次のチャンスに生かす。僕はいつも、そんな思いを携えてプレーしているんです」
先の見えない中でもがき続けたことで見えたもの
2018年初頭、恥骨炎を負った浅野は怪我が治癒してからもベンチ入りメンバーから外れ、ドイツ・レギオナルリーガ(4部相当)に所属するシュツットガルト・セカンドの一員としてプレーする時期が続いた。セカンドチームではチームバスが使用されず、使用スタジアムもロッカールームなどの設備が十全ではないため、浅野は自宅で身支度を整え、自家用車で試合会場まで向かい、試合に出場していた。閑散としたスタンド、ところどころ芝生が剥げたピッチで全力疾走する彼の脳裏には、このままでは終われないという焦燥にも似た気持ちが交錯していた。
「今は正直、何が正解かが分からない。ただ言えることは、今、取り組んでいることをやり続ける。練習に対する姿勢、練習が終わった後のシュート練習、ジムのトレーニングなどは決して怠ってはいけないと思っています。境遇や立場が良くないときだからこそ、日常の日々に変化を加えることなく、やり続けようと思った。今の僕が備えているもの、今まで得てきた成果を、まずは100パーセント引き出す努力をしないとすべてが始まらない。チャンスが来たときに、それをモノにできる準備ができるように、冷静になって物事を考える。それが大事だなと」
Christian Kaspar-Bartke/Getty Images
2018年5月31日、急きょ解任されたバヒド・ハリルホジッチに代わって指揮を執る西野朗がロシアワールドカップに臨む日本代表メンバーを告げている。その23人の中に浅野の名前はなかった。前年のアジア最終予選、ホームのオーストラリア戦で先制ゴールを決めて本大会出場の立役者になっても、ワールドカップの舞台に届かなかった。
ロシアでの仲間の勇姿は、バックアップメンバーの立場で現地のスタンドで観た。この悔しさは絶対に忘れない。4年半に渡るリベンジの日々が、ここから始まった。
ドイツ戦のプレーが偶然ではなく必然と言える理由
現代は多種多様なメディアやSNSなどから様々な情報が飛び交う。選手はその全てを把握しているわけではないが、それでも“雑音”は否が応でも見聞きしてしまう。周囲から発せられる自身への評価については、常に憤りを感じていた。浅野は以前のインタビューでこう話している。
「誰も僕のことをサッカーがうまいとは思っていないでしょうね。スピードだけだと思っている方もたくさんいるでしょう。そういう声に関しては、『なにくそ』という気持ちはあります」
浅野のベーシックスキルを揶揄する声がある。しかし、シュート、パス、トラップなどの精度が低ければ、少なくともドイツ・ブンデスリーガの舞台では戦えない。ハノーファーに所属していた時代の浅野がトレーニングに励む姿を見たことがある。約15メートル四方の狭いエリアで敵、味方に分かれてパスワークする彼のパス精度はどこまでも精密だったし、屈強な体躯を誇る選手たちの激しいボディコンタクトにも動じすにトラップしてルックアップする体軸は一切振れていなかった。
ドイツ戦の決勝ゴールへと繋がったシーン、板倉滉からのパスを後ろ向きでトラップした浅野のスキルはすでに、日本代表が苦難の末に予選突破を決めた昨年10月のオーストラリア戦のワンプレーで見せている。吉田麻也のフィードを半身のトラップで受けてそのまま前進して放ったシュートが相手のオウンゴールを誘い、日本代表をカタール行きに導いた。今季のボーフムのゲームでも、浅野はウイングのポジションで何度も対面の相手を出し抜く一発のトラップで縦へ進撃するプレーを連発している。
たゆまぬ努力と鍛錬が、強固な自信を築き上げてきた。あのトラップは偶然ではなく必然。それを自覚しているからこそ、彼は周囲の声に過敏に反応してきた。
ドイツ戦後に明かした偽らざる心情
浅野がドイツ戦終了直後のミックスゾーンで偽らざる心情を吐露した。
「4年前から、こういう日が来ると想像して準備してきました。今日という日を僕が迎えると、ここにいるメディアのみなさんの中でも何人が思っていたのかというのが正直な気持ちです。ただ、自分を信じてくれた人に準備をしてきましたし、何より、自分のためにも準備をしてきたので。この4年間、いろいろなことを目にしてきたし、耳にしてきたし、感じることもありましたけども、それを無視してやってきて良かったなと思います」
2022年11月25日、カタールのドーハでインタビューを受ける日本代表の浅野拓磨(写真:Christopher Lee Getty Images)
9月に右膝内側側副靱帯を断裂したが、復活を、そしてワールドカップでの飛躍を信じてリハビリに明け暮れた。ボーフムから車で約1時間の距離にあるデュッセルドルフの日本代表駐在事務所へ足繁く通い、代表スタッフとコンディション調整に勤しんだ。同時期に負傷した板倉との絆を深め、ドイツ戦でのホットラインが完成した。
「正直、(板倉)滉がボールを持った瞬間に、『あっ、これは来るなと思いました。まあ、同じところを負傷した内側(ないそく)仲間なので、僕らは。怪我してから意思疎通ができるようになりました。毎日僕も(デュッセルドルフへ)行っていたし、彼とも顔合わせていて、『やれるよ』と二人で励まし合いながら、ここまでやってこれたので。このホットラインができたのも、準備してきた結果かなと思います」
日本の試合が終了した後に、筆者の住むドイツの空から雨が降り注いだ。それは涙雨ではなく、歓喜のシャワーでもない。これは彼がミックスゾーンで露わにした感情と同じ、揺るぎない思いが溢れた“決意の雨”とでも呼ぶべきようなものに見えた。
目指す頂は、まだ先にある。逆境の中でも揺るがない不屈の精神がこの選手が兼ね備える一番の武器だ。周囲から発せられる負の感情もパワーに変えてみせる。ドイツ戦を過ぎても、準備を重ね、結果を追い求める日々は変わらない。これからも、自身を信じてくれる誰かのために、自身のために、浅野拓磨はファイティングポーズを取り続ける。