私は介護施設の経営と、市区町村の介護認定審査会委員をしています。そのため、介護に関するお悩み・お金の相談などを受けることがよくあります。
今回取り上げるのは都内在住80歳女性のYさん(仮名=以下同)のケース。ご主人を亡くし、いまは一人暮らしでヘルパーによる訪問介護サービスを受けている彼女に、最近おかしな言動が目立ってきて……。介護中に認知症を発症するとどうなるのか、Yさんに起きたことをご紹介します。
「ほんの些細な訴え」から始まった認知症の初期症状
都内のアパートで一人暮らしをする80歳女性(要介護1)Yさん。子供はおらず、2年前にご主人を亡くしました。70代までは車の運転もされ、ご夫婦で旅行や外食など活動的な楽しい毎日を送っていたそう。しかし、ご主人が亡くなったことで外出する機会も減り、日中もすっかり家に閉じこもるようになってしまいました。
気がついた頃にはすっかり足腰も弱くなり、地域包括支援センター職員のすすめで要介護認定を受けてみると「要介護1」の判定。それをきっかけに、ヘルパーによる買い物、掃除、入浴介助などの介護サービスを受けるようになったYさん。
家に誰もいない日々が続いていたこともあり、気さくな女性ヘルパー達と打ち解けるのも早く、介護サービスの提供もとても順調でした。
一方で、Yさんは「家に話し相手もいないんじゃ、淋しいよ」と、サービス提供にきたヘルパーによくこぼしていたそうです。
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そんなある日、いつものように介護サービスに入ったベテラン女性ヘルパー(70歳)に、Yさんがこんなことを言ったのです。
「昨日から家の鍵がないのよ。いつも置いているところにないの。気持ち悪いわ……」
Yさんは、とても不安そうな顔でした。
「最後に鍵を使ったのはいつですか? カバンに入ってたりないかしら?」
とヘルパーが尋ねると、
「この体で、外に行くことなんてできないし、ずっと家にいるからカバンだって使わないよ。家の鍵がないなんて、ちょっと怖いわよ」
と、強い口調で言い返されました。ただ、聞けばスペアキーがあるので困りはしないとのこと。
「そうですか。早く鍵が見つかるといいですね。時間だから失礼しますね」と言い、介護サービスを終えたヘルパーは、そそくさと退室しました。
次の日、ベテラン女性ヘルパーは、Yさんのサービス提供に入った際、「家の鍵はありましたか?」と尋ねました。すると、「鍵は家の中にあった」と答えたYさん。
ヘルパーは、「良かったですね」と答え(Yさんだって年齢なりの物忘れもあるだろうし、そういうこともあるわよねと思い)、通常通り掃除や洗濯などの介護サービスを行いました。
しかし、この日をきっかけにYさんの「物がない」という訴えは増えていったのです。
ヘルパー、ケアマネージャーを責めるように…
YさんのケアマネジャーであるAさん(50歳男性)は、Yさんを担当するヘルパーから、「最近Yさんの様子がおかしい、よく物がないと言って探したり、不安がっている。認知症がはじまったのかもしれない」と報告を受けていました。
心配したケアマネジャーのAさんは、Yさんの様子を見に自宅を訪れることに。ヘルパーの一連の報告を聞いていると、「やっぱり認知症かな……」と察しがつきましたが、ご主人が亡くなったことによる情緒不安定からくるものや、一時的なこともあるため、決めつけずに会ってみようと思ったのです。
Yさん宅を訪ねると、浮かない顔をしたYさんが待っていました。Aさんは明るい口調で「Yさん、こんにちは。最近体調はどう?」と声をかけました。
すると、「ああ、Aさん。こんにちは」とそっけない態度。なんとなくいつもと調子が違うなと感じていたところ、YさんはケアマネジャーのAさんにこう切り出してきました。
「Aさん。実はね、言いづらいんだけど……。どうも、うちに来るヘルパーさんが、勝手にうちの物を持っていっちゃってるみたい」と言ったのです。続けて、「ほしいものがあるなら言えばいいのに。いらないものなら上げるよ。でも、断りもなく勝手に物を持っていっちゃうのは腹が立つのよね」と。
また、「私がデイサービスに行っている時、ヘルパーさんが合鍵で家に入ってきてるとしか考えられない」とまで言うのです。
Aさんが「例えば何がないんですか?」と聞くと、Yさんは「一番高いお皿とか、冬のコートもない。色々なものが、ないんだよ」と怒ったように言いました。「一緒に探してみましょう」となだめると、「探したけど、どこにもないんだよ!」と言い切られました。
よくヒアリングしていると、時折「曖昧な答え」も返ってきます。Yさんに、なんらかの認知機能の衰えが見られることは確かなようでした。ただし、プライドの高いYさんに病院で診察を受けてもらうためには、具体的な理由があった方がいいと感じたため、介護事業所と連携をとりながらもう少し様子をみることにしました。
こうしたケースで気をつけたいのは、ご高齢者の訴えが認知症がはじまったことによる「妄想・思い込み」であることに介護事業者が気がつかないこと。一生懸命介護サービスにあたってくれているスタッフを、会社が本当に疑ってしまうこともあるのです。
「物を盗られた」と訴えてくるご高齢者は、(事実はさておき)本気で、まるでリアルの出来事のように訴えてきます。実際、本当に物を盗ってしまうヘルパーもゼロではないことから、スタッフには申し訳なくとも事実確認をすることが優先です。
しかし、疑われたヘルパーたちも「お言葉ですけど、私そんな古いお皿なんかいりませんし、80代の方の洋服だっていりませんよ」と少し気を悪くすることも事実。真面目に仕事をしているのに、泥棒と疑われたらガックリしますよね。高齢者が相手の仕事である以上、これは仕方がないことですが。
そしてもう1ヶ月経った頃には、Yさんの物盗られ妄想はさらに悪化。根気強くYさんの話を聞いていたケアマネジャーにも疑いの目が及びました。
「ヘルパーの事業所を変えても、いまだに物がなくなっていくなんておかしいよ。あんたも、グルになってるんじゃないの?もう誰も信じられない、外のキーボックス(鍵)は使えないように返してもらうよ」
と興奮した様子で言ってきたのです。ケアマネジャーはYさんの気持ちがおさまるよう、すぐにキーボックスを外して返却したのでした。
気になるYさんのその後の症状や、認知症のサインの見分け方など、後編記事〈認知症を発症し「ヘルパーが物を盗っていった」と妄想が止まない80歳女性の「その後」〉で詳しくお伝えします。